デイトン合意後のボスニア・ヘルツェゴビナにおける外部アクター間の調整不全:なぜ国家制度は脆弱化し、分断は温存されたのか、失敗要因とその教訓
はじめに:デイトン合意後のボスニア・ヘルツェゴビナが抱える構造的課題
ボスニア・ヘルツェゴビナは、1995年のデイトン合意によって終結した内戦後、国際社会による大規模な平和構築支援を受けてきました。この合意は紛争を停止させ、国家の枠組みを再構築するという一定の成果を上げた一方で、非常に複雑で非効率な国家構造を生み出しました。セルビア系主体のスルプスカ共和国、クロアチア・ボシュニャク系主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、そしてブリチュコ特別区という三つの構成体が並存する体制は、強力な中央政府の形成を阻み、民族間の分断を温存させる要因となりました。
しかし、このような国内構造の課題に加え、デイトン合意後の平和構築プロセスにおいては、多数の外部アクター(各国政府、国際機関、NGOなど)が関与したにも関わらず、彼らの間の連携不足や戦略的な不一致が、長期的な国家の安定化や機能強化を困難にした側面が指摘されています。本記事では、このボスニア・ヘルツェゴビナの事例に焦点を当て、外部アクター間の調整不全が平和構築プロセスに与えた負の影響を分析し、そこから導かれる教訓や示唆について考察します。これは、現在進行中の、あるいは今後起こりうる紛争後地域における国際協力活動の実践において、非常に重要な示唆を与えるものと考えられます。
失敗要因の分析:多層的な外部アクター間の調整不全
デイトン合意後のボスニア・ヘルツェゴビナには、軍事部門(SFOR/EUFOR)、警察部門(UNMIBH/EUPM)、政治・民生部門(OHR、OSCE、国連機関、各国大使館)、経済復興部門(世界銀行、IMF、EBRD、各国ドナー)、そして多数の国際・国内NGOなど、非常に多様な目的とマンデートを持つ外部アクターが活動していました。これらのアクター間の連携と調整が不十分であったことが、平和構築の様々な側面で課題を生み出す主要因の一つとなりました。
1. 戦略と優先順位の不一致
外部アクターはそれぞれ異なる国や機関の意向を反映しており、ボスニアにおける平和構築の長期的なビジョンや短期的な優先順位について、必ずしも一致していませんでした。例えば、一部のドナー国は早期の経済復興と民営化を急ぐ一方で、別の国や機関は司法制度や治安部門の改革を重視していました。また、欧州連合(EU)への加盟という長期目標は共有されていましたが、それに向けた改革のスピードやアプローチについては、加盟国間でも意見の相違が見られました。このような戦略的な不一致は、支援の重複や隙間を生み出し、地元アクターにとって混乱を招くと同時に、外部からの影響力を分散させる結果となりました。
2. 調整メカニズムの限界
形式的には、OHRが国際社会全体の調整役として機能することが期待されていましたが、OHR自身が強力な「ボン権限」を持つ国際社会の「代表」であったため、他のアクターとの間で対等な立場で調整を進めることは容易ではありませんでした。また、各分野(治安、司法、経済など)ごとの調整会議は存在したものの、全体的な戦略を横断的に調整し、各アクターの活動を統合する強力なメカニズムは十分に機能しませんでした。その結果、各アクターは自身のマンデートや資金の範囲内で活動を最適化しようとし、必ずしも国家全体、あるいは平和構築プロセス全体の目標に貢献しない個別最適化に留まる傾向が見られました。
3. 情報共有とコミュニケーションの不足
多様なアクター間での情報共有は十分ではありませんでした。各組織が独自に収集した情報や分析が、他の組織に適切に伝達されず、全体像を把握することが困難でした。例えば、あるアクターが特定の改革を推進しようとしても、別の場所で活動する別のアクターがその改革の前提となる状況を理解していなかったり、あるいは異なる情報に基づいて行動していたりすることがありました。このような情報のサイロ化は、効果的な意思決定や協調行動を妨げました。
4. 地元アクターとの関係構築の難しさ
外部アクター間の連携不足は、地元政府や市民社会アクターとの関係構築にも影響を与えました。地元アクターは、異なる外部アクターから異なるメッセージや要求を受け取ることがあり、誰の言うことを聞くべきか、どの支援を優先すべきか判断に迷うことがありました。また、外部アクターが互いに競合したり、非協力的な態度をとったりする様子を見ることは、地元アクターの国際社会に対する信頼を損ない、平和構築プロセスへの「所有権(Ownership)」の醸成を一層困難にしました。
5. 短期的な成果と長期的な目標の乖離
多くの外部アクター、特にドナー国は、納税者への説明責任から、短期的な成果を重視する傾向がありました。しかし、ボスニアのような複雑な紛争後社会における国家制度の強化や民族間の和解といった課題は、長期的な視点と粘り強い取り組みが必要です。外部アクター間の調整不全は、短期的な個別プロジェクトの積み重ねに繋がりやすく、長期的な構造改革や根本的な問題解決に向けた統合的な取り組みが進まない要因となりました。
教訓と示唆:現代の平和構築実務への応用
ボスニア・ヘルツェゴビナにおける外部アクター間の調整不全の事例は、現代の平和構築活動に従事する我々にとって、非常に多くの教訓と示唆を与えてくれます。
1. 明確な共通戦略と調整メカニズムの不可欠性
複数のアクターが関与する平和構築においては、何よりもまず、関係者間で共有された明確な共通戦略と優先順位を定めることが不可欠です。そして、その戦略に基づいて、各アクターの役割と責任を明確にし、効果的な調整メカニズムを構築する必要があります。OHRのような強力な権限を持つ機関が置かれる場合でも、他のアクターとの定期的な協議や情報共有を制度化し、トップダウンの指示だけでなく、現場の状況や地元アクターの声が戦略策定に反映されるような仕組みが求められます。
2. 情報共有の強化と透明性の確保
アクター間の継続的かつオープンな情報共有は、重複を避け、相乗効果を生み出すために不可欠です。定例の調整会議に加え、共有データベースや情報プラットフォームの活用など、技術的な手段も積極的に導入すべきです。また、活動内容や資金の流れに関する透明性を高めることは、地元アクターからの信頼を得る上でも重要です。
3. 地元アクターのエンパワメントと「所有権」の重視
外部アクター間の連携は、決して外部アクターだけで完結すべきではありません。むしろ、外部アクターが連携して、どのように地元政府や市民社会アクターの能力強化とエンパワメントを支援するかという視点が重要です。共通の戦略は、地元アクターが主導権を発揮できるよう支援するものでなければなりません。外部アクターは調整の労力を惜しまず、地元アクターがプロセスへの「所有権」を感じられるような対話と協力の姿勢を維持する必要があります。
4. 長期的な視点と適応性の確保
平和構築はマラソンであり、短期的な成果だけでなく、長期的な目標達成に向けた粘り強い取り組みが必要です。外部アクターは、自身の組織の短期的な報告サイクルにとらわれず、長期的な視点で戦略を策定し、資金を投入する覚悟を持つ必要があります。また、紛争後社会の状況は常に変化するため、当初の戦略に固執するのではなく、現場の状況や地元アクターのフィードバックに基づいて柔軟に戦略やアプローチを修正していく適応性も求められます。
5. NGOの役割:調整への積極的な参加と情報発信
国際協力NGO職員は、外部アクター間の調整会議に積極的に参加し、現場で得た情報を共有する重要な役割を担います。他のアクターと連携する際には、自身のプロジェクトが全体の戦略の中でどのような位置づけにあるのかを常に意識し、他のアクターの活動との相乗効果を高める方法を模索することが重要です。また、外部アクター間の調整不全がもたらす悪影響を現場の視点から具体的に指摘し、より良い連携に向けた提言を行うことも、NGOの重要な貢献となり得ます。これらの経験や知見は、報告書や提案書を作成する上でも、現状分析や課題設定、解決策の提示において説得力を持たせるための貴重な根拠となります。
まとめ:過去の失敗から学び、より効果的な国際協力を目指して
ボスニア・ヘルツェゴビナの事例は、多くの外部アクターが善意を持って関与したとしても、彼らの間の調整が不十分であれば、平和構築プロセスが停滞し、かえって課題を悪化させる可能性があることを示しています。この失敗から学ぶべき最も重要な教訓は、効果的な平和構築は、単に個別のプロジェクトを実施することではなく、関与する全てのアクターが共通の目標と戦略の下で連携し、地元アクターとのパートナーシップを構築することによってのみ達成されるということです。
我々国際協力NGO職員は、日々の実務において、他の外部アクターや地元アクターとの連携の重要性を常に意識し、積極的に調整に関与していく必要があります。過去の失敗事例を分析し、そこから具体的な教訓を導き出すことは、現在の、そして未来の平和構築活動をより効果的で持続可能なものとするための重要なステップです。ボスニアの経験は、複雑な環境下での国際協力における連携と調整の難しさと、それにも関わらず、その努力を惜しんではならない理由を明確に示していると言えるでしょう。